村山 陽子さんinterview

Q.恵さんが保育園で働くきっかけになった経緯を教えて下さい!

 当時、娘が通っていた養護学校で「職場開拓」の勉強・研究をされていた先生の「沖縄では一般就職の事例があって、熊本でも出来るよ!」という第1号ですかね。

 その年、同じクラスの子が3保育園に就職をしよう!」という試みで、(高校)2年生の時に就職氷河期だったんですが、先生方が動き始めてくれ、3年生の時に職場体験など意欲的にして頂いて。

 ハローワークでは作業的な一般企業への就職のための実習とかをうけて、体力・姿勢・挨拶などの行動面の研修・体験を夏休みも返上でさせて頂きました。

 主人も転勤になるかもしれないし、一般就職はほとんど頭になかったんですね。でも、3人のお友達が保育園に向けて頑張るんだ!」っていう先生たちの想いが子どもに伝わったんですかね。いつの間にか「こども大好き!」って。

先生の子どもの気持ちを湧き出させる力っていうのはすごいですね!

 

やんちゃな子には隅でちっちゃくなるような娘だったので、「保育園!?娘には絶対無理よ~!」って思ってたんですね()でも実習に行っているうちに、だんだん「私は保育園に勤めるんだ!」って気になって来て。

0歳児クラスで、抱っこしたり、ミルクをあげたり、おむつを替えたり…、「私にもできるものがある!」って思ったのか、保育園側も「寄り添って子どもの目線から見れて子どもを待てる」などの、恵の良い所を沢山言ってくれて。実習の評価は厳しかったけど()

 だいたい12月くらいには就職が決まるところが、施設就労もいっぱいで。「1年は研修でもいいか!」と気になりつつも慌てずにいたら、2月の末頃に3人とも受け入れてもらえることになって、保育園勤務も11年を終わろうとしています。

3人とも今も頑張っています!

Q.親として、障がいを知った時のことを教えてください

 「知らない」っていうのが一番よかったのかな()、と今では思いますね。とにかく、今できること・今やれることをやっていくしかないっていう気持ち。

周りにいる、とてもいい友人や仲間に支えられたし、出会う方出会う方、プラスっていうかな、頑張れとも言わずとも前に進ませてもらえる暖かい目があったと思う。

 東京に引っ越しするときに、「娘さんの事を考えて東京にしたよ!」と主人の上司に言われて「嘘でしょ~!?」って()

 でも、東京に行ったことが、今歩んでる道、障がいと向き合うっていうよりも、仲間に支えられたっていうか、北海道にいたときは誰も分からないし、「かわいそうね」っていうような…。何か手立ては?って思っても何もないんですね。

「普通に皆さんと同じように育ててください」だったし。

親の会っていうのもあったらしいんですけど、遠かったり。


 東京では、「こやぎの会」を紹介していただいたり、地域の保健師さんが、ダウン症の親の会が出来ていると教えてくれたり。

「ふたばの会」っていう小さい会でしたけど、そこのリーダーさんがとても素敵で!近くに仲間もいて、近くの赤ちゃん体操や鳩笛リズム教室に車に乗せてもらって皆で通ったり情報を沢山もらいました。

心臓病も東京で手術をして頂いたし、いい出会いが沢山あってハッピーでしたね()

 親には恵が弱かったので4年に1回くらいしか帰省出来なくてオリンピックみたいだねと言われましたけど()!!

 周りの助けがあって、兄弟がいてもいいよね!と思えるようになって、妹も生まれました。

Q.どのような支援をしてきたか教えてください

 障がいに対してっていう意味では、手立てをしなければ!っていうのはなかったですね。

ただ、ポーテージ教室には東京にいたときにずっと通ってました。やる気を育てたり、社会性を養ったり、協調性を身に着けたりするために、親が少しだけ前に意識を持って気持ちを育てるっていうのを勉強したつもりなんですけど()


「やる気を摘む、っていうことがないように」っていう心がけですね。

ダウン症の子は 筋力が弱くて舌が出るんですけど、赤ちゃんの時に舌がでると指ではじくんだよと主人に言われて。私はかわいそうとしなかったんですけど、今、時々口がもごもごしちゃう時があって、主人に「あの時しなかったからだよ」なんて言われたりするんですけど()


 やれる範囲内のことはとにかくしましたし、言語教室リズム教室など、もう月火水木金金金と。習い事ではなく早期療育の走りですよね、そういうのには本当に通いました。

 ただ体力がなくて、3~4か月入院することもあったので、なにをやれたの?ってところもあるんですけど()


 色んな先生と知り合えて、いろんなやり方とか学べました

人に教えるまでにはなってないのがもったいないですね()

Q.一番つらかった時期、出来事を教えてください

 私自身は「手術すれば1ステップ進める!元気になれる!」って思いましたけど、主人はもう、「かわいそうでかわいそうで」って。手を握りしめて横にいるか、見てられないって外に行っちゃうか()


 私がつらかったのは、本人には伝えていないんですけど、就職して3~4年でしたかね、円形脱毛が出たんですね。

なぜかって理由も見当たらないし、あの時が一番かわいそうだったかなって思いますね。

 仕事の面と余暇活動の面とが目の当たりに出るっていう…すぐ治るものじゃないし。本人には言ってないから、湿疹みたいなのがあるから薬を付けようって。

 1個が2個になって。赤外線照射とか通うのも…本人もなんかツルツルするって言いだして、「もう、通うのもいいか!」ってやめて、諦めたころに毛が生えだして。精神的なものってわかってたので、それがやっぱり辛かったですね。

Q.障がいを通して子どもから学んだことを教えてください

 ハンディキャップを沢山持っているから、この子にはやっぱり少しでも、(親が)モデルになるような生活をしないといけないかな、とか。

お仕事とかそういう部分で本人が就職を目の前にしたときに、親が家にいて遊んでいるんでは多分「仕事に行って私も頑張るんだ!」って気持ちがなくなったら大変だなと思って、再就職でもないんですけど、少しづつお外にも目を向けた親でいないといけないかなぁと思ってヘルパー研修を受けて、ヘルパーになりました。

 でも思ったよりも(帰宅時間が)まちまちで…。本人が帰るときに家に居れなかったりとか、そういうちょっとしたあれは出てましたけど、それなりに本人も「ママも仕事をしてる!」っていう気持ちで受けとめられるようにもなって。

恵さんも一生懸命働いてサラリーをもらって、「いや~めぐちゃんの方が勝ってるね!」とか「ママ今月は負けちゃったね!」とかそういう話題にもなっていいかなって()


 自分もただ専業主婦でいてもそれなりの事を出来る人間ではなかったものですから()家に居たら寝てしまったりグウタラしそうな自分に少しだけムチ打って、出来ること・社会と繋がる事をしてみようかなぁって思ってやったのは、やっぱりハンディを持った娘がいたから自分をこういう気持ちにさせてくれたんじゃないかなぁとは思いますね。

Q.大切にしている信念や座右の銘があれば教えてください

 子どもを育てていくうえで「先取りをしない」っていうか、

芽を摘まないように控えて後から見る

っていうのを周りの先生方から常に言われていた気がするんですね。


「アンテナを張って、サインが出たものにすぐ気づいてあげられるお母さんでいてください」みたいなことはよく言われてたので、ちょっとだけひいて、でも目を離さず見るって言う部分では、なるべくしていきたいなって。


 自分が先導するんじゃなくて、「先に行ってもちょっと隠れて様子を見る」みたいな最初だったんですよね。

もう、とにかく歩かない子だったから歩いてほしいし。一歩から二歩目が出るのにまた何か月もかかったんですね。立って一歩出るのに3歳何か月だったんですけど、一歩から二歩目が出るまでまた半年かかったんです。

そういうので手をひくんじゃなく、自分から立ち上がるっていうのを長い目で見ないといけなかった時期が多分そうさせてくれたのかなと思うんですけど。


 3歩から5歩っていうのも、先に行ってずっと待ってなきゃいけない。でも姿が見えてるとしてくれないから、隠れて様子を見てる。そういう部分で少し離れて見れたし、本人のやる気や常に今どう考えてるかなぁって。

 先取りしないって言う気持ち・思いが、「子どもの気持ちになって考えられる」と言って下さったことに繋がるのかなって()


 障がいの種類にもよると思うんですね。うちの娘の場合はとにかく何か行動を外に出すってまでに、すごく時間のかかるタイプの障がいじゃないかなって思うんですね。筋力にしても何かやりたいって言う心の想いにしても、溜まってはいるのかもしれないけど表出するのに時間の掛る方だと思うんですね。

それがハンディの一つだと思うんで、それを本人の中から引きだすって言うか、待つって言うか、待ち過ぎたのかもしれませんけど()

 もっと早く色々とやりたいことを引き出せたのかもしれないですけど、私たち家族の中で彼女はそれなりに輝きだしてくれてるのかなぁって思います()

Q.これからの私たち

 将来が見えないって言うか、ダウン症の子どもの一生とかを聞くと、うちは心臓病も持ってるから今が最高潮じゃないかっていつも思うんですね。もう29歳でしょ、20歳が最高潮と思ってたもんですから、「え~!29歳、まだ登ってるんじゃないか」ってまだ思えているんです。で、周りのお友達とも「今年までかね、今年までかね」っていうような言葉が出るくらいに、最高潮って言うかな山が下りだしたら少しね、ゆっくりでいいから、ゆっくりでいいからってなるんだけど、まだやれるかまだやれるかって言う想いもあるので、その日その日で楽しくやっていければ一番だって思ってはいるんですけど。


 将来を見るって言う部分では本当、常に…。明るいことを想像されたと思うんですけど、私たち老後の事ばっかりが心配になって(笑)

 本人にはですね、「ママとパパが先にいくのが世の常なんだから、あなたもちょっとこの家を出てグループホームに入りたいとか、アパートで生活したいとか、そういうことを思わんね?」っていつも言うんですよ。

 それには料理が出来ないといけないし、お金のこともちゃんと出来ないといけないし、って言うんですけど、うん…恵の中で親が先にいくっていうのはあり得ないんだそうです。今もどうしてもそれは出来ない、と。だから私はそういうのは考えないと、もうはっきりと断られちゃうんですね。

 だからその辺をいかに分かって現実味を帯びて理解させていったらいいかとか。そういうのは姉妹との関係も出てきますし。


 将来って言うと、やっぱり私たちは老後のことを考えてしまう。主人は4~5年したら定年が来るだろうし。私たち年金ももらえないような年代だし()

本当に暗くなってしまうようなお話になってしまいそうなんだけど。本人にどうわかってもらうかですね。でも本人の力も信じたいし、ひょっとしたら、ちょっとした兄弟の助けとか周りの助けで生活を一人でもやれる力があるかもしれないな、とか、グループで楽しくやっていくような生活を整えられるのが良いんだけどなぁとか。


 でも自分たちの老後に関して「自分たちもどうする」ってお友達と皆で(話して)、それこそ自分たちの為のグループホームでもしようか!とか、もう退職した友達がみかん畑を梅畑にしたとか、そういう話を聞いて、その方を頼ってみんなでそこで住もうか!とか()

そういう共同体で自分たちで食事を賄える生活が出来たらどんなに楽しいだろうなぁって。


 都会の方では他人が何人か集まって一つの家に住んで、コミュニティって言うのもしてるとか聞くと、そういうのもやってみたいねって。その中に恵たちみたいな子がいても良いんじゃない、とか。

 メイプル(サウンズ)では先生も、こういう、いつも皆が集って、そんなの出来たらいいね!みんな宝くじが当たるといいね!って()


 とにかく若い世代の方とも繋がっていけたら、年金だなんだっていう、国を頼らずに自分たちで将来を見据えたものを自分たちの手でやっていく、って言うような世の中に変わっていくのかもしれないなとか思ったり。


 だから、今はまだ将来って言うのを見据えるのがとても難しいですね。

 沖縄に行ってみたいとか屋久島に行ってみたい!とかそういうのは、「まだ行ってないね!」とか言ったりしますけど、家族で将来的に何かを楽しんで、って言うのはまだちょっと描けないって言うか。


 スペシャル(オリンピックス)は4年に1回、世界であるし、今度の冬の大会で恵さんは(フィギア)スケート福島で開催される全国大会に行けるようになったんですよ!全国大会の次は韓国で世界大会です!だから、スペシャル(オリンピックス)に所属してるとそういう目標もあるので、いい組織にも出会いましたね()

いかがでしたか?
穏やかな笑顔の中にある、強く深い愛情が皆さんにも伝わったのではと思います!陽子さんはすべての文末に『(笑)』がつくほど、ニコニコの笑顔で話してくださいました。

 私は恵さんの働く姿を息子の将来と重ねずにはいられません。そして、恵先生が子ども達から慕われる理由の一つはきっと、ご両親が愛情いっぱいに育てられたからだと実感しました。

 

恵さんからのメッセージphotography❤はこちら↓

動画のインタビュー内容はこちら↓

Q.お子さんとの歩み(出生時の思い出など)

 娘は予定日より1月ほど早く生まれて、切迫流産の疑いがあったりして入退院も多く、予定日よりも早く産むことになり4月予定が3月の早生まれになって、生まれてからお医者さんに話があると言われて、「なんだろう、なんだろう」と思っていて。泣いたり(する事)も弱かったし、哺乳力もなかったし。


 退院する前に「ダウン症の疑いがあります。」と言われて、当時知識もなかったので、「ダウン症とは何ぞや!?って感じで先生にお聞きして、「3歳までもてば、10歳までもてば」みたいな「今、最高でも20歳まくらいでしょうか」と。

 早期療育が始まるころだったのですが、出産した地域では情報的にも進んでなかったのか、とにかく「知的に障がいがある、知能は伸びても10歳くらいでしょう。それは伸びた方で。」と言われ家に帰ったんですけど…。

 

 本当に飲む力がなくって、哺乳瓶を逆さにして、ちたっ・ちたっ、と落ちるのを含ませるような状態で、112ですかね、1時間おきに最初やって、それでも体重は減る一方で、保健師さんに来て頂いたり、少しずつ、周りの皆さんの助けもあって、3ヶ月くらいで元の体重に戻りました()


 哺乳力が弱かったから、全部飲んでくれた!と思っても吐きだしてしまったり、周りのおじいちゃん達にも、そんなに無理に飲ませることは無いって随分言われたりもしましたけど() 

初めての子だったし、どういうものかわからず、そんな感じでしたね。


 1歳の時に肺炎を起こして入院したら、どうも心臓にも問題があるということで検査をしたら、心房中隔欠損と、ボタロー管開存症という2つの病気があるということがわかって、1歳半と34か月の時に2回大きな心臓手術をしました。 

 1歳の時に北海道から東京に主人の転勤で引っ越して、そこで心臓のいい先生と出逢って「成長と共に手術をしていきましょう」と計画を立てて頂いて。3歳半で一応、根治手術はしたんですけど、薬は18歳まで飲んでました。


 小学校のころまで1カ月に1回は休んでいたし、幼稚園の頃は行ければいい方で()私は弱い子だと思って育ててきたんですけど、今では誰も信じてくれない!「嘘でしょ!」って言われて()

熊本に来てからは元気元気で。

 嘘のような生活に変わりました()

Q.楽しかった出来事を教えてください

  日々楽しいというか、主人と娘のやり取りは漫才師のようなところがあって、恵がおしゃべりが盛んになって、おどけたりコントみたいなことを言い出したりとか、嘘のようですね!

 言葉の習得が難しかった娘としては、家の中が明るくなって、こんなことは想像もしなかったっていう日々もありますけど、やっぱりスペシャル(オリンピックス)で外国に行けたっていうのは、親も連れて行ってもらって、ご褒美を頂きました()


 本人も世界って言うのを、どこまで感じ取ってくれたか分からないですけど、地球を感じたんじゃないかなぁって思いますし、自分のやりたい事を長くコツコツと続ける大切さも感じたろうし。


 まるっきり日本選手団で日本の各地から来た方たちと、一緒に寝泊まりをして、「頑張るんだ!」っていう目標も一緒に持って、また世界の新しい初めての土地の食べ物から風土から色んなのを体験してきて、すごい中にいっぱい詰め込んでこれたのは、今までで一番の、あの子の楽しい大イベントだったんじゃないかな~って言う気はしますね()

【ここからは記事のみ】

(ただの海外ではなく)目的もあって、で、ちゃんと観光もさせて頂いて()

 今ギリシャが大変なことになってニュースで「ギリシャが出てる!ギリシャが出てる!」って、いつもパパデモス首相(当時)さんは「何で何で?辞めちゃうの?」って、本人もその身になって心配をして

 

 色んな国際情勢とかも気にしてるし、新聞を結構、隅から隅まで「読む」んじゃなく、「字面を追ってる」らしいですけど、必ず新聞を見ますね。ここ何年前からですかね、主人の職場の関係の記事とか出ると、「お父さん今日これ問題があるから帰りが遅いよ!」とか()

 それとか、いろんな人の名前を見てますね。学校の先生が賞を受けたのも、新聞を見て知って。先生にお知らせしたら「なんで分かったんですか!?すごい!!」って先生も自分の名前を見つけてくれたことに感動してくれたり。


 色んな方がスポーツなどで名前が出てたりすると、見つけて教えてくれたり。そうしているうちにだんだん自分がイベントとかで出てる記事が、「(新聞に)載らないかな~」って() で、「ん、出てない!」って()

 そういうのも随分気にするようになったし、テレビ番組も、今日何があるなんて。

 私なんかはテレビや新聞を見てもあんまり記憶に残ってないんですけど、ロードショーでも、「これ○回観てる!」とかちゃんと記憶してるし、アニメもちゃんと観てあらすじを知ってたり、そういうところは主人と意気投合して話が合いますね。

 私は「なんか観たことある、観たかなぁ」って。でも娘はちゃんと、題を見たら「これ観た!でも楽しいからまた見たい!」って。そういうのもだんだん私は追い越されて、反対に教えてもらって尊敬してますね()

  漢字でもクイズ番組とか脳トレとか、恵の方が解るのも増えてきまして、そういう意味で楽しんでます()


 「何してんの!?」って怒りたくなる時もあるんです。「それよりも台所来て少し覚えてよ~!とか、そういう時期もありましたし、まだそれもしないといけないんだけど、ちゃんと身にはなってるんだなぁって思います。


子どもの頃、リズム教室など通うときお膝に抱っこして常に手帳に絵を描いて、絵描き歌で一緒になって、「う」とか「あ」とかって言いながら書いたのが、今も好きで、字にするのが好きだったり。一時期は辞書が大好きで書き写しですけどもしていたんですね。

 漢字のノートも書いて書いて書いて書いて!して。本当に見て書いてました。で、いつかそれを消すんです。全部綺麗に消して、で、また書いたり。「折角書いたからとっといたら?」って(言うと)「いや!」って。

なんか一つのこだわりのようには感じてたんですけど、でもそれが新聞に移り、今は折り紙。

 千羽鶴のような物を作って作って!それがクローゼットに山になってますし、ごみ箱も!どなたかのお誕生お祝いの時にはこれがいつも皆さんに配られて()

枝豆とかの時分は、「お友達のお父さんがこれに枝豆の殻を入れるのよ!」とか。台所でも常に皮を入れてから捨てるから、とても綺麗に片付くのよ!って言われて褒められて()

 恵さんの常にする作業の一つです()

Q.お子さんのここが最高!!を教えてください!

 やっぱり「ピュアな心」って言うんですかね、それがやっぱり一番ですかね。

 

 人を、何ていうのかな、初対面はなかなか入っていけないって言うか、恥ずかしがったりするんですけど「この人は私の味方!」っていうかな、「私の仲間だ!」とか、「私と同じ世界の人だ!」ってみると、その人に寄り添えるっていうかその人を引きつける力みたいな、何かを持っていそうな気がしますし、それが社会の一員としてキチンとプライドを持った人間になっていってるんじゃないかなって気がしますので、私は超えられてしまってる気がします()

Q.スマビを見ている方へメッセージをお願いします!

 普通に「子育て」っていう所で、子育ては自分も育つ、子どもと共に自分も家庭もが育ててもらえるって言うかな、そういうものだと思うので、子どもとだけ向き合うのではなくて、社会の中で一員として成長できていくものだと思うので、子どもを取り巻く人たちとの絆とか出会いとか、社会ですよね。

 そういう中で、絶対前向き?一歩一歩絶対に前進できるものだと思うし、自分は立ち止まる時があってもいいと思うけど、うん、前には進んでいけるし、日々成長してくれるので、共に楽しんで子育てしてください!

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